韓国通信NO763 アメリカン・ファースト(アメリカ第一主義)を掲げる大統領が誕生した。個人としては誰が大統領になっても同じと考えていたが、いざトランプの就任を目の当たりにすると不安は募るばかりだ。経済と軍事力で世界トッ
本文を読む小原 紘の執筆一覧
愛は心を繋(つな)ぐ金の糸 우리가슴과 가슴 사이를 연결해 주는 금실이지 韓江(ハン・ガン)
著者: 小原 紘韓国通信NO762 世界中に不幸が満ち溢れている時に「おめでとう」と素直に言う気になれない。ノーベル賞の知らせに韓江(ハン・ガン)さんは晴れがましい気分になれないと語った。年賀状は今年から1枚8
本文を読む突然の非常事態宣言(戒厳令)から始まった 「少女時代」の驚き
著者: 小原 紘韓国通信NO761 12月8日、シリアのアサド独裁政権が崩壊した。難民600万人、殺害された国民50万人ともいわれる独裁政権の実態が次々と明らかになりつつある。韓国の尹大統領が目指した非常事態
本文を読む韓国語から学ぶもの
著者: 小原 紘韓国通信NO760 鳥よ 鳥よ 青鳥よ緑豆の畠に下り立つな緑豆の花がホロホロ散れば青餔売り婆さん泣いて行く (金素雲訳) 緑豆(ノクト)は日清戦争前年1894年に起きた甲午農民戦争(東学農民戦争)の指導者全
本文を読む驚愕! 韓国の非常戒厳 韓国通信NO759
著者: 小原 紘12月3日、突如として尹大統領が非常戒厳令を宣言した。野党の反対を「内乱」と決めつける荒唐無稽な大統領の「乱心」は明らかだった。国会が直ちに解除を決議したため、大統領は6時間後に撤回せざるを得なくなった。 任期半ばで既に
本文を読む韓国語から学ぶもの <その1> 韓国通信NO758
著者: 小原 紘友人たちと韓国語を学び始めたのは1977年。最近は少なくなったが、「どうして韓国語」と問われることが多かった。詩人の茨木のり子さんも答えることが煩わしかったのだろう。「隣の国だから」と答えていた。彼女は「韓国語の森」とい
本文を読む韓国通信NO757 「ぼりばあ丸」事故を覚えていますか
著者: 小原 紘1969 年に沈没したジャパンラインの大型貨物船(54,271 重量トン)。乗組員 33人のうち31人が死亡した。大きな衝撃を与えた事件だが、記憶する人は少ない。1984年に発行されたルポ『巨船沈没』(晩聲社刊)を読ん
本文を読む選挙で変わるか 韓国通信NO756
著者: 小原 紘石破新首相のもとで行われた衆院選挙は与党の敗北、野党側の勝利に終わった。メディアと一体となった争点隠しが功を奏して大きな変化は望めないと踏んでいた私には予想外の結果だった。「読み」が浅いなあと友人に笑われた。 与党の
本文を読む貉(むじな) 韓国通信NO755
著者: 小原 紘前回号で自民党の総裁選を「同じ穴のムジナ同士の茶番劇」とこき下ろした。事実、連日にわたるスピーチ大会は茶番劇を通り越して、喜劇的でさえあった。 不勉強ながら貉(むじな)がアナグマとは知らなかった。またタヌキと混同される
本文を読む韓国通信NO754 9+4
著者: 小原 紘9名が立候補した自民党の総裁選。内々でやる選挙ならともかく、国民を前にして統一教会も裏金も関係ないかのようにはしゃぐ茶番劇に呆れる。「同じ穴のムジナ」が何を喋ろうと知ったことではないが、不信感は一層深まるばかりだ。彼ら
本文を読む韓国通信NO753 金 敏基さん(73)の死
著者: 小原 紘韓国のシンガーソングライターで、ミュージカル制作者の金敏基(キム・ミンギ)さんが7月21日に亡くなった。彼の代表作「朝露」(1972年)は朴正煕政権時代に発禁処分を受けたが、民主化運動から今日まで歌い継がれ、韓国では知
本文を読む長崎の平和祈念式典をボイコットした非礼 韓国通信NO752
著者: 小原 紘長崎市がイスラエルを招待しなかったため、G7(先進国首脳会議)6ヵ国が平和祈念式典参加を見送った。原爆犠牲者を慰霊し、世界に反核、平和を訴える式典が彼らにはこれほど軽いものだったのか。核兵器禁止条約へ後ろ向なG7の正体を
本文を読む暑サニモマケズ 韓国通信NO751
著者: 小原 紘通信NO751号をお送りする。今月82才になった。奇しくも先日発表された日本人男性の平均年齢と同じである。人は必ず死ぬという真理を前にして、私は十分に生きていないという自覚がある。だから「余生」という言葉に実感がもてな
本文を読む二度目の渋沢栄一 韓国通信NO750
著者: 小原 紘紙幣といえば聖徳太子という時代を過ごした人には、その後の紙幣と額面金額は曖昧になっている。韓国に評判の悪かった伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造が消えたと思ったら、やれやれ、今度は渋沢栄一の登場である。実は渋沢は日韓併合前
本文を読む韓国通信NO749 日本のことを知らない日本人
著者: 小原 紘日本の将来を考える日々。蒸し暑さと政治不信が相まって鬱々。報道の自由度世界ランキンングは70位でまたもやランクを下げた。権力に対する批判やチェック機能がなかった戦前の翼賛報道と変わりがないと世界から烙印を押されたような
本文を読む韓国通信748 世直し選挙だ
著者: 小原 紘もう後がない日本。小手先のゴマカシは通用しなくなった。金と自己保身にうつつを抜かす政治家たちにまかせておけないで。マスメディアは選挙と自民党総裁の「予想屋」、世論調査の「分析家」に成り下がった。こうなったら本気になって
本文を読む韓国通信NO747 日本国憲法―第2章第9条 戦争の放棄
著者: 小原 紘憲法公布から3カ月後、文部省は教科書『あたらしい憲法のはなし』を発行した。だが、わずか3年後に「副読本」に格下げされ、その翌年からは使われなくなった。 戦後の混乱期、生徒も教師も新生日本への期待に胸ふくらませて読んだ
本文を読む韓国通信NO746 抑止と戦争-金正恩と習近平は自民党の「救世主」なのか
著者: 小原 紘<安保法制の成立を助けた台風> 2015年9月、安保法制に反対する学生と市民で連日国会周辺は埋め尽くされた。 集団的自衛権を認め政策の大転換をはかろうとする安倍政権は市民たちによって窮地に追い込まれていた。だ
本文を読む仙台、水俣、京都へ
著者: 小原 紘韓国通信NO745 足が遠のいていた仙台の実家へ1年ぶりに出かけた。 「みどりの窓口」がなくなりあわてた。「どうしました?」と窓から愛想のない顔がのぞく。となりの券売機でも年配の婦人が奮闘中だ。「不便になったね」とイ
本文を読む私の5月3日
著者: 小原 紘韓国通信NO744 5月3日に結婚したので憲法記念日は特別な日だ。 妻が転倒して手首を骨折して入院をした。家事の大変さを痛感する羽目に。外で「憲法を守れ」と叫んでも、私生活は両性の平等を定めた憲法24条を無視した違憲
本文を読む日韓関係の行方~韓国の選挙結果-野党192与党108
著者: 小原 紘韓国通信NO743 去る10日に行われた韓国の総選挙は与党「国民の力」の惨敗、野党「共に民主党」圧勝に終わった。大統領は弾劾直前にまで追い込まれ、任期半ばで政権末期状態に。支持率は20%台と相変わらず低空飛行を続ける。
本文を読む韓国の総選挙(つづき)
著者: 小原 紘韓国通信NO742 前回号で韓国の総選挙が混戦状態とお伝えした。保守系各紙は連日、野党攻撃の記事で溢れかえる。記事の大半は野党「共に民主党」の党首の李在明(イ・ジェミョン)と新党を結成した曹国(チョ・グク)個人への集中
本文を読む韓国の総選挙
著者: 小原 紘韓国通信NO741 韓国の総選挙が今月10日に迫ってきた(議員定数300 小選挙区254/比例46)。 おととし5月に発足した尹錫悦政権の評価が問われる選挙だが韓国のどのメディアも情勢は混戦状態と伝える。独断的な政権
本文を読む3.20「さようなら原発全国集会」
著者: 小原 紘韓国通信NO740 祝日で原宿駅前は若者たちで大賑わいだった。ブラカードやノボリを持ち会場の代々木公園に向かう人たちと彼らは明らかに「異人種」だった。小雨が降り肌寒かった。 福島第一原発事故からまる13年、いまだに緊
本文を読む韓国の友(チング)へ
著者: 小原 紘韓国通信NO739 能登半島地震のお見舞ありがとうございました。およそ300キロ離れたわが家が揺れるほどの大地震でした。大勢の人が亡くなり、住む家を失った多くの人たちがいまだに避難生活を余儀なくされています。都会の繁栄
本文を読む日本と世界の未来
著者: 小原 紘韓国通信NO738 「僕はジコチュー」。ある精神障害者の友人が語ったことを思い出す。今から25年前、栃木県喜連川の障害者施設で働いていた時のことである。 世界は国益と自己主張が渦巻く分断社会にある。 (講演会その1)
本文を読む東北の民衆運動から学ぶ
著者: 小原 紘韓国通信NO737 2012年の秋、友人と岩手を旅行した。 盛岡駅前で借りたレンタカーの旅は、自然エネルギーに取り組む葛巻(くずまき)町、岩泉町の龍泉洞、津波の被害を受けた田野畑、田老(たろう)、浄土ヶ浜と宮古、復興
本文を読む私の敗北主義
著者: 小原 紘韓国通信NO736 ウクライナとロシアの戦争が止まない。2022年2月24日のロシアによる軍事侵攻から間もなく2年になる。 私はそれまでウクライナについてあまり知らない、というより関心がなかった。 ウクライナを支
本文を読む記憶喪失の国から
著者: 小原 紘韓国通信NO735 喪中ハガキをもらうと、亡くなった人への感謝をしたためて返信するのが習わしになった。年賀状は今年限りという人も増えた。友人の「断捨離」みたいで少し寂しい。電話で「おめでとう」と言うオメデタイ人はいなか
本文を読む『南相馬日記』その3 鄭周河 (写真家)
著者: 小原 紘韓国通信NO733 11 月 2 日、佐々木淳さん夫妻と再会した。5年前に 彼の父親である佐々木孝先生( 2018年逝去79才 )がなくなった。それまで弔問できなかったのはコロナ渦で暫くの間日本とご無沙汰していたためだ
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